大萩康司 コンサートレポート
日付 | 2002年2月21日(木) 18:30開場 19:00開演 21:00終演 | ||
チケット | 全席指定4,000円(税込み) 当日券の販売もあった様子 約300席 | ||
場所 | 南日本新聞社みなみホール 鹿児島市与次郎 | ||
正式名称 | 大萩康司ギターリサイタル 〜シエロ〜 | ||
プログラム |
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感想 | 大萩康司の二回目の来鹿コンサートである。一度目は地元の喫茶店のサロンコンサートで,100人程度のお客様のみで催されたものであったため,大きなホールでのコンサートとしては事実上初めてのものとなる。以前も紹介したが,木村大のコンサートと同じ場所で,地元紙である南日本新聞社の持つみなみホールが会場であった。 以下レポートは時間の経過とともに進行してゆく。 ☆ 18:20ごろ会場入りし,今回はゆっくりした気分で開場を待った。ロビーの雰囲気は,やはり彼の人気であろうか,若い女性がたくさん見られた。今回の大萩のコンサートを観ることで同世代の村治香織,木村大の御三家を全員制覇したことになる。やっと三人の生演奏を聞き比べることが出来る。日本ギター界の「今」を語るには,この三人はどうしても外すことは出来ない。世界ギター界の代表でもある。それだけに楽しみなこのコンサートであった。ロビーでは十字屋さんによるCDの販売が行われていた。まだ二枚のCDしか発売されていないため,その二種類しか並んでいなかったが,講演終了後サイン会が催されるため,早めに選んでいる方々も見られた。 19時5分,舞台袖から拍手が聞こえ(プロモーター,舞台関係者ら)大萩本人がほぼ同時に現れた。最初の拍手からワンテンポ遅れる形で,ホール全体が拍手に包まれた。中央の椅子に一礼してから座るその容姿は,あの少し茶髪でジャニーズ系の顔立ち,服も黒系で統一して,若々しさがみなぎっている感がある。アナウンスなく1曲目がゆっくりと始まった。皇帝の歌(L.deナルヴァエス)ジョスカン・デ・プレのMille regretsに基づくである。古典の名曲であるメカニカルながらロマン的な曲から始まるプログラムに,落ち着きを感じながら,いよいよコンサートが始まった。 彼の演奏スタイルは,CDにも濱田滋郎氏が絶賛していたように「音の詩人」とも形容すべきロマン的・叙情的なものである。師である福田進一の甘い表現を,彼なりに強調してもっと歌わせる面が見られる。彼の持つ雰囲気がそうさせるのか,そうすることによって更に自分の雰囲気を創り出しているのか,いずれにせよ,後から増設したような無理に演じているような部分は一切感じられない。その後語られるトークにも気負いも緊張も無いように感じられ,自然体での演奏という印象を受ける。 「こんにちは大萩です。」と,一曲目が終わり曲の解説と鹿児島の印象話し始めた。昨日鹿児島入りしたそうで,その前日は山口で演奏だったそうである。人の良さを感じさせるトークである。蛇足であるが,小林出身の彼は,私の宮崎の友人たちを彷彿させる語り口で,おっとりした友人と似た様な印象を受けた。1曲目とこの後の曲を解説してくれた。 二曲目は,組曲イ短調(F.ルコック) エアー メヌエット ジーグ ガヴォット パスピエ パッサカリアの組曲6曲であった。他のギタリストではあまり演奏される機会の無い曲で,1枚目のCDに入っている曲ではあるが,私自身も聞き込んでいる曲ではないので,新鮮味を持って聞くことが出来た。オリジナルはバロックギターで演奏される古典でありながら,編曲で(ブローウェルの編曲であるが)ラスゲアードを取り入れたり,フランス様式でトリルなど装飾音を聞くことが出来る,新しいムードを持つ曲であった。 前半の最後はバッハである。プレリュード・フーガ・アレグロ BWV998 J.Sバッハという定番中の定番を聞くことが出来た。しかし,ブローウェルでデビューした彼なので,純粋なスペインものやバッハといったいわゆる名曲を聞くことはまだ出来ていない。そのため,三枚目以降の今後の活動を予感させる,貴重な演奏となるものである。1フレットにカポタストをつけ,原調の変ホ長調で演奏された。通常のギタリストでは,半音下げたニ長調で弾かれることが多いのだが。スピードにこだわったメカニカルさが強調される演奏ではなく,しかし,ムード音楽で終わっているわけではなく,色彩感豊かな演奏を聞くことが出来た。 ☆ ここで〜〜休憩〜〜となる。15分のインターミッションの間に会場を出てホールで先輩と近況や感想で一息入れる。共通する意見として,固めの音を意図的に使っている。や,ストロークを柔らかく効果的に演奏しているなど,一時の批評会となった。気持ちの良い演奏には間違いないという意見で一致した。久しぶりにお会いできた先輩であったが,ギターに関する情熱は変わらず,私もそうだが,すばらしい演奏を聞くと自分も演奏に生かしたくなるという,いい物をもらえた気がする。 ☆ 後半は,二枚目のアルバム,シエロからが中心になる。「鹿児島はいいところですね。」という話から,ホテルの掃除のおばちゃんから,「(ちょっと掃除するので)隣でテレビをみちょって」と言われたと,流暢な宮崎弁で話してくれるところなど,サービス精神旺盛である。そういうところが若い女性に受けるのだろうな?など思っていたら,早速後半の演奏予定の曲を全て解説はじめてくれる。次にやる曲だけの紹介に留めて,トーク・演奏を繰り返してもいいような気がするが,演奏に集中したいのか,気分が許さないのであろう。 そのあくる日(R.ゲーラ)非常にいい曲をもらってきた。話によると,1週間で練習して2枚目のアルバムに収録したらしい。ゲーラがDTM(コンピュータ)で作曲していたものを,MDで聴き,レパートリーに加えたというのが本人の話であったが,CDの発売日が決定していたにもかかわらず,先延ばししてもらい,「何かが足りない!」とキューバに出かけて佳曲をもらえてしまったのは,結果オーライであっただろう。「11月のある日」に対抗してこの曲を作曲したのでは?という逸話も紹介された。曲の最後の音を伸ばして,響きをためるところなど情熱がこもっている。”ふう”と一息ついたら,すぐにブラジル民謡曲集より(H.V.ロボス) マズルカ・ショーロ ショティッシュ・ショーロ ショーロ No.1ショーロの三曲連続の演奏である。スカイパーフェクTVのミュージックエアネットワークで,クラシックギター特集として1時間のLIVEが放映されたが,その際にも演奏された曲である。かなりいい味出していると思える。セーハの続く曲であるが,流れに乗りムードが良く出ている。彼の特徴はショーロNo.1などにある,ch-a-m-iの4本指でのストロークを,硬く流したり,サウンドホール側の柔らかい音でゆっくり流したりするところだろうと思える。情のこもった「詩的」な演奏であるには間違いないが,あえて難を言うならば,師匠福田氏の演奏との違いをどこに持ってくるかという点であろう。テンションがあがってきたところで,そろそろ本領発揮の曲となる。 鐘のなるキューバの風景(L.ブローウェル)これもあまり演奏される機会のない曲ではあるが,ブローウェル作品の最優秀演奏賞をもらっただけあって,こういった快曲ながら比較的とりあげられる機会の少ない,演奏のチャンスの少ない曲を弾くということは意味があろう。曲の解説として,現代曲の有り様や作曲法など,さすがブローウェルに関してはよく研究しているという印象である。もちろんその演奏も,演奏中に6弦の調弦を下げたり,エレキギターで言うところの,ハンマリング,プリングオフ,ライトハンド奏法といった異端的テクニックを使いこなしているところなど,詩人と形容されながらもアグレッシブなぐいぐい押してゆく演奏である。もちろん非の打ち所はない。最後のハーモニックスが鐘のなる〜を十分表現していたであろう。フェードアウトしてゆくハーモニックスに,聴衆の脳裏にはキューバの映像が重なったであろう。 次の曲の紹介が始まった。リズムやキューバ音楽に関して歴史的な考察も踏まえて解説してくれた。澄み切った空(Q.シネーシ)最後の曲である。コンサートタイトルや,アルバムタイトルのシエロにつながる曲である。早いスケールにタンボーラと,きらびやか演奏は締めくくりには最適であった。こういった独自の持ち歌とも言うべき曲を,わずか2枚目のアルバムにて確立するところが,他を寄せ付けない存在感をアピールすることになっているのであろう,彼の特色である。全てを弾ききったという満足感の笑みを溢れさせながら,深い一礼に続き,大きな拍手の元,たくさんの花束が渡され,それぞれの方と握手して舞台左袖へ下がった。拍手はやまない。 アンコールのために再度登場した。花束に腕が攣りそうとジョークを交えながら,アンコール一曲目は,母に捧げるグアヒーラ(ロハス)である。同じホールで以前木村大のコンサートが催されたが,彼の立ち位置よりも少し前で演奏しているそうだ。音響の関係や反響版,ホールの構造についても話題が及びながら曲が始まる。一瞬,ビラロボスか?と思わせるこの曲はキューバでは非常に有名なのだろう。この曲も十分持ち歌となっている。拍手で袖へ入ったが,すぐに再登場して二曲目の11月のある日(ブローウェル)である。福田進一の演奏から火がついたこの曲は,ブローウェルが映画音楽のために作曲したというのが真相だが,アルバムタイトルにもなっているほど,詩的で印象に残る曲である。これを楽しみに来た観衆も多かったはずである。実にうっとりと聴くことが出来た。更に拍手で再々登場し,タンゴ・アン・スカイ(ディアンス)の演奏に続く。現在フランスでディアンスにも先生としてついているらしく,その味を十分に引き出していた。袖に下がるが,止まらぬ拍手に,本人も「調子に乗って…」と弁明?しながら,しかし我を忘れるわけでなく,冷静に演奏をはじめた。エストレリータ(ポンセ)悲しげな詩を意識しながらの非常に歌う音色での演奏であった。共鳴し,艶やかな,それでいて煌びやかな音の広がりがホールいっぱいを包み込み,と同時に聴衆の心の中いっぱいに広がる充実感を感じさせた。 ☆ 最後のサイン会には,100名以上の長蛇の列が出来ていた。下の写真のようにサインをもらったが,希望者にはそれぞれの名前まで入れるサービスぶりである。また,握手も一人一人としながら,なにより目を見て握手してくれる姿勢は,女性ファンが更に倍増であったろう。かく言う私も,サインと握手をもらいながら,「スペインものの予定はありますか?」という質問に,「はい,あります。」と即答していただき,楽しみが増えたのであった。今回の演奏会中には,心配していた携帯電話の着メロ問題は起こらなかった。ユーザーの意識がしっかりしてきた表れと評価したい。大成功のうちに終了した演奏会であった。 |
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資料 |
資料画像(顔にはモザイク処理をしています。)
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